ヴィクトリア朝の危険なオシャレ

こんにちは!

 

綺麗なお姉さんは好きですか?美しさは時代や国によって変わります。日本でも和風が流行ったり洋風が流行ったり、とにかく細いのが良かったり健康的な筋肉が良くなったり、時代によって美しさの基準は変わっていますよね。ヴィクトリア朝の英国では今にも死にそうな病気ルックが美しいとされていました。

 

ヴィクトリア朝とは、英国をヴィクトリア女王が統治していた時代です。このヴィクトリア女王、夫のアルバート公が亡くなってから自身が亡くなるまでの約40年を喪服で過ごした事が有名です。女王が喪に服してるんですもの。喪に服す事自体がお洒落になります。

 

この時代、「喪に服す」ことについて細かい決まりごとが定められました。夫を亡くしたご婦人は2年間喪服を着続けるなど。長い。子供の死亡率も高く死が身近だったこの時代、人々はそんなこんなで「死」にロマンを感じるようになり、「病気ルック」がお洒落になったと言われています。顔色悪い、オシャレ。瞳孔開いてる、オシャレ。結核、オシャレ。。。。え。

 

 

色白がオシャレ。

英国に限らず、色白が「太陽の下で働く必要がない」富のしるしとされる事はよくあります。ヴィクトリア朝の女性は色白を追い求めすぎて、血管が透けて見えるほどの肌の白さに惹かれたそうです。お化粧で血管書き足したりとか。特に有名と思われるのは鉛入りのおしろいです。肌を白くキレイに見せるのに最適だったようなのですが、長期にわたる使用によって、歯の抜け落ち、脱毛などの副作用に悩まされ、さらに長い間使用すると、肌が黒ずみ、その結果さらにおしろいを重ね塗りする事になってしまったそうです。

 

開いた瞳孔がオシャレ。

そもそも瞳孔は暗いところで開くだけでなく、驚いたり「その気」になった時にも開きます。つまり、瞳孔が開く事で無意識に相手への関心を示しているわけです。ちなみに青い瞳などの薄い瞳の色が魅力的とされるのも瞳孔の大きさがわかりやすいからなんだそうです。ヴィクトリア朝の女性たちは、魅力的な目を手に入れるため「目薬で瞳孔開いちゃおうっと」となりました。この目薬、猛毒のベラドンナを使っていました。むくみや赤み程度で済めば良いですが、最悪視力を失うものだったそうです。女性たちはこの目薬の危険性を知った上でそれでも大きな瞳孔を欲しました。ビクトリア女王はオシャレのためでなく、白内障の症状改善に瞳孔を開こうとこの目薬を使っていたようですが。

 

結核がオシャレ。

本当らしいです。結核の症状として、体重減少、微熱があります。熱があると瞳孔が開き、頬や唇に赤みが差します。血を吐くことでも口元が赤くなります。しかも当然か弱い。つまり、結核にかかるだけで追い求める美が一気に手に入るわけです。ビクトリア朝より少し前ですが、ロマン派詩人でプレイボーイで有名なバイロン

"I should like to die from consumption"(あ~、肺結核で死にたい)

と言ったそうです。ロマンチックな病気とされていたので、結核にかかることで女性票が集まると思ったんですね。なんともバイロンらしい。

 

病気がオシャレとなったのは、あまりに死が身近だったために起こった一種の社会的自己防衛的なものじゃないかという気がしますが、今とずいぶん違いますね。当時の人たちが今の私たちを見たらどんな感想を持つのでしょうか。