ヴィクトリア朝時代の写真-メメント・モリ

こんにちは!

 

メメント・モリって言葉を知ってますか?ラテン語で、意味はざっくりと「いつか死ぬって事を忘れるな」になります。

メメント・モリには、文化・芸術としての位置づけがあります。例えば絵画や墓碑、教会の彫刻などが代表的です。その中で今日はヴィクトリア朝メメント・モリについてお話します。

 

ヴィクトリア朝とは正確には英国をヴィクトリア女王が統治していた1837620日から1901122日の時代を指します。勢いづく産業革命、花開く英国芸術文化、種の起源の発表、等々、六十数年の間には様々な事が起こりました。

 

カメラが実用化されたのもこの時代です。しかし、当時一般庶民の間では写真はとても高価で、写真を撮るのは一生に一度の人も多かったようです。愛する人の姿は形に残しておきたい。でも、乏しい家計から写真代を出すのは難しい。後回し後回しになった結果、もう後回しに出来ないタイミング、つまり愛する家族がなくなってから写真を撮ることになったのでしょう。ヴィクトリア時代では、アルバート公が亡くなった後ヴィクトリア女王が喪に服し続けたため、「死」自体がロマンチックなものとなり云々という話もありますが、庶民はロマンなんか感じている場合じゃなかったと思われるので、亡くなった家族の写真を撮る文化の原因は、ずばり貧乏だと思われます。

*実際の写真は「mement mori victorian」で画像検索していただければたくさん出てきます。

 

1843年に世界初の商業用クリスマスカードのデザインをした画家である、ジョン・カルコット・ホースレイは、写真代を捻出出来ない人たちのために、子供が亡くなったと聞くとモルグに出かけて行き、まだ死後硬直が始まらないうちにボランティアでスケッチを取っていたそうです。

 

写真のメメント・モリに戻りますが、亡くなった家族にポーズをとらせた家族写真が多いですね。その中で、全くブレずに写っている人が亡くなった方です。当時のカメラはシャッターが開いている時間が長かったので、その間生きている家族はどうしても動いてしまうのでブレています。

亡くなった家族は、椅子に座らせるのが一般的でしたが、つっかえ棒をして立たせたりもしたそうです。目は開かせるか写真に瞳を描き足しました。

 

それほど高価だった写真ですが、安価になるにつれ、庶民でも「一生に一度の贅沢」ではなくなり、生きている間に写真を撮るようになり、次第に遺体と写真を撮る習慣はすたれていったそうです。

 

。。。やっぱり、「死はロマンチックだから云々」は後付けじゃんか。

ヴィクトリア朝の危険なオシャレ

こんにちは!

 

綺麗なお姉さんは好きですか?美しさは時代や国によって変わります。日本でも和風が流行ったり洋風が流行ったり、とにかく細いのが良かったり健康的な筋肉が良くなったり、時代によって美しさの基準は変わっていますよね。ヴィクトリア朝の英国では今にも死にそうな病気ルックが美しいとされていました。

 

ヴィクトリア朝とは、英国をヴィクトリア女王が統治していた時代です。このヴィクトリア女王、夫のアルバート公が亡くなってから自身が亡くなるまでの約40年を喪服で過ごした事が有名です。女王が喪に服してるんですもの。喪に服す事自体がお洒落になります。

 

この時代、「喪に服す」ことについて細かい決まりごとが定められました。夫を亡くしたご婦人は2年間喪服を着続けるなど。長い。子供の死亡率も高く死が身近だったこの時代、人々はそんなこんなで「死」にロマンを感じるようになり、「病気ルック」がお洒落になったと言われています。顔色悪い、オシャレ。瞳孔開いてる、オシャレ。結核、オシャレ。。。。え。

 

 

色白がオシャレ。

英国に限らず、色白が「太陽の下で働く必要がない」富のしるしとされる事はよくあります。ヴィクトリア朝の女性は色白を追い求めすぎて、血管が透けて見えるほどの肌の白さに惹かれたそうです。お化粧で血管書き足したりとか。特に有名と思われるのは鉛入りのおしろいです。肌を白くキレイに見せるのに最適だったようなのですが、長期にわたる使用によって、歯の抜け落ち、脱毛などの副作用に悩まされ、さらに長い間使用すると、肌が黒ずみ、その結果さらにおしろいを重ね塗りする事になってしまったそうです。

 

開いた瞳孔がオシャレ。

そもそも瞳孔は暗いところで開くだけでなく、驚いたり「その気」になった時にも開きます。つまり、瞳孔が開く事で無意識に相手への関心を示しているわけです。ちなみに青い瞳などの薄い瞳の色が魅力的とされるのも瞳孔の大きさがわかりやすいからなんだそうです。ヴィクトリア朝の女性たちは、魅力的な目を手に入れるため「目薬で瞳孔開いちゃおうっと」となりました。この目薬、猛毒のベラドンナを使っていました。むくみや赤み程度で済めば良いですが、最悪視力を失うものだったそうです。女性たちはこの目薬の危険性を知った上でそれでも大きな瞳孔を欲しました。ビクトリア女王はオシャレのためでなく、白内障の症状改善に瞳孔を開こうとこの目薬を使っていたようですが。

 

結核がオシャレ。

本当らしいです。結核の症状として、体重減少、微熱があります。熱があると瞳孔が開き、頬や唇に赤みが差します。血を吐くことでも口元が赤くなります。しかも当然か弱い。つまり、結核にかかるだけで追い求める美が一気に手に入るわけです。ビクトリア朝より少し前ですが、ロマン派詩人でプレイボーイで有名なバイロン

"I should like to die from consumption"(あ~、肺結核で死にたい)

と言ったそうです。ロマンチックな病気とされていたので、結核にかかることで女性票が集まると思ったんですね。なんともバイロンらしい。

 

病気がオシャレとなったのは、あまりに死が身近だったために起こった一種の社会的自己防衛的なものじゃないかという気がしますが、今とずいぶん違いますね。当時の人たちが今の私たちを見たらどんな感想を持つのでしょうか。

プロセスチーズのお話。

こんにちは!

突然ですが、チーズは好きですか? ナチュラルチーズもプロセスチーズもどちらもおいしいですよね!

ナチュラルチーズの歴史や栄養などについての情報はたくさんありますが、プロセスチーズについてはあまり聞きませんよね。でも日本ではナチュラルチーズよりプロセスチーズの方が食べられているんです。それなのになぜか日が当たらない。。。かわいそうじゃないですか!

ということで、今日はプロセスチーズについて少しだけお話したいと思います。

 

そもそも名前に「プロセス」ってついているのはなぜでしょうか。

プロセスチーズの原材料は実はナチュラルチーズです。ナチュラルチーズにほかの材料を加え加熱を施すなどの加工(プロセス)を加えて作られるので、プロセスチーズと言うのだそうです。

 

次に味ですが、プロセスチーズの味はどこのお店でどの時期に買っても同じですよね?

これは、ナチュラルチーズの組み合わせ方やそこに足す材料によって決まった味を製造することが可能だからです。また加熱処理を施す事で熟成が止まるので味が固定されます。そのためいつでも同じ味のチーズを食べられるわけです。なんと素晴らしい!これはナチュラルチーズは不得意とする分野です。

 

また、プロセスチーズという名前は英語ですが、原型はスイス人のWalter Gerberさんが1911年に最初に開発しています。アメリカでは、アメリカ人のJames L. Kraftさんが1916年に特許を取りました。かの有名なクラフトチーズのクラフトさんです。彼がチェダーチーズを使ってアメリカ版のプロセスチーズを開発し商品化しました。

このチーズはすぐに人気となり、特に世界大戦中には兵士の間でも重宝されたようです。通常とは違う状態で保存しても品質が変わらないからでした。一説には、プロセスチーズはもともと戦地での栄養補給の安定した手段として開発されたとも言われています。 

第二次大戦後の1947年にはKraft Singlesという名前のスライスチーズも開発されました。これが爆発的ヒットとなりました。スライスチーズ抜きのハンバーガーなんて考えられませんからね!

(ちなみに「スライス」チーズと呼ばれていますが、製造過程で最初から薄いチーズを作っているそうです)

 

日本でプロセスチーズの製造が開始されたのは1934年(昭和9年)。当時日本ではまだ冷蔵庫の普及が進んでいなく、また輸送手段の問題もありました。そこで品質にブレがなく、長期保存が可能なプロセスチーズの方が日本市場には合っているのではないかと考えられ、製造が始まったそうです。

 

開発からすでに一世紀以上たち、現在ではいろいろな種類のプロセスチーズが売られています。今度スーパーに寄ったときは是非プロセスチーズを手に取ってみてください。

はじめまして!

はじめまして!
ブログは初めてですが、日々気になったことや、調べたことのまとめなどを書きます。

写真付けたり、キレイで見やすいブログを目指して少しずつ頑張ってみたいと思ってます。